タイトル:駅前リポート
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関  屋       船  橋            八千代台
勝 田 台   志  津   ユーカリが丘
臼  井
        千葉中央
商業施設の解説に(詳細)の文字がある場合、雑談の部屋*商業施設情報の各詳細記事へリンクしています。(詳細の文字をクリックすると該当ページが現れます)

地 図 表 示 に つ い て
:駅周辺の地図表示は、(株)サイバーマップ・ジャパンが提供している「マピオン」にリンクしています。
地図のほぼ中央に表示される赤十字マークが、対象となる駅の位置になるように設定されています。
:このページよりリンクされている地図は、もっとも詳細な縮尺に設定してあります。駅周辺の広域地図をご覧になりたい場合は、地図表示後に縮尺の切り替えを行ってください。
:そのほか、地図の使い方についてなどの詳細は、「マピオン」のホームページ上にてご確認ください。

関   屋 (せ き や)
所在地 東京都足立区千住曙町2-2
開業年月日 昭和6年12月19日
駅停車種別 普   通
おもな設備 ホームエスカレーター/mini Shop
駅周辺地図    1/3000
 京成上野線の荒川よりやや上野寄りにあるのがこの関屋駅で、駅の前後で東武伊勢崎線や営団日比谷線・JR常磐線と交差し、さらに過去に存在した東武線の線路から各工場への引込線などをまたぐため、開通当初から築堤による高架線となっている区間に開設された駅です。この関屋付近では東武伊勢崎線が並行して走っており、駅のすぐ北側には連絡駅となっている東武牛田駅があります。駅周辺は最近になって高層マンションが目立つようになりましたが、基本的には小さな町工場などが見られ、住宅などの雰囲気を含めて下町情緒を十分に残しています。
 この駅から近い荒川の土手や千住界隈では、テレビドラマのロケで登場した場所が多く存在し、とくに昭和54年に始まって以来、現在まで断続的に続いているTBSドラマの「3年B組金八先生」では、そういった場所とともに京成や東武の車両もよく登場するため、各シリーズを通してそれぞれの時代の車両が記録されている貴重なドラマとも言えるでしょう。
画像:関屋駅北口高架下に改札がある京成関屋駅。下町の駅とは言っても現在では近代化され、自動改札やエスカレーターも設置されている。東武牛田駅はこの画像の真後ろに位置している。
画像:東武牛田駅 画像:アメージングスクエア 画像:東武牛田駅ホーム下ガード
東武牛田駅。この付近の東武線の開通は明治35年と古いが、牛田駅は昭和7年9月開業と京成関屋よりもやや新しく、京成線との乗り換えのために開設されたのだろうか? 工場の跡地を利用し、下町の小さな遊園地としてオープンした「アメージングスクエア」。当初は巨大迷路やさまざまな乗り物があったが、現在ではスケート場や球技場に様変わりしている。 金八先生の各シリーズをご覧になっている方にはおなじみの場所。東武牛田駅ホーム下のきわめて低いガード(高さ1.8m)がかなり印象的。でも、なぜか平成13年10月から放映されている第6作目の中では見かけない。
画像:区立某中学校 画像:柳原付近荒川土手 画像:京成上野線荒川橋梁
金八先生の中で「桜中学」として使用されている学校の正門。確か第1・5・6作目でこの学校を使用。ただし、1作目ではこんなにきれいな感じではない。 金八先生全シリーズを通して必ず登場する荒川土手。京成の橋梁付近から上流方向を眺めた様子であるが、とくにこの場所は毎回のように出てくる。 京成上野線の荒川橋梁。対岸は葛飾区で、橋を渡ってすぐのところに堀切菖蒲園駅がある。押上線の荒川橋梁は新しくなったが、こちらは上野線開通当初からあるきわめて古い橋梁である。

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船   橋 (ふなばし)
所在地 千葉県船橋市本町1-5-1
開業年月日 大正5年12月30日
駅停車種別 特急/通勤特急/(飛)快速/快速/普通
おもな設備 定期券発売所/mini Shop
駅周辺地図    1/3000
 京成線の中間駅の中で1日の乗降客数がもっとも多い船橋駅。成田方面からの乗客は、ほとんどが都心まで京成を利用せず、この船橋から高速で輸送力の大きいJR総武線に乗り換えてしまいます。そのため、都心から20km以上もはなれた地点の駅が、おのずと乗降客数ナンバーワンになってしまっているのです。このような状況はもう30年以上も続いており、朝の乗りかえ風景は何度もマスコミによって紹介されています。そのうえ、利用客が多い駅なのにホーム幅がせまいため、通勤時にはあふれんばかりの客でごった返し、隣接する踏切によって交通渋滞も巻き起こすという、なにかと問題の多い駅でした。
 しかし、船橋と大神宮下の高架駅化と、その周辺の連続立体化工事が本格化しており、これが完成すると問題点が一気に解決すると思われます。また、京成とJRの間に位置する地帯の再開発事業も始まり、駅周辺も含めて近い将来に大きく変わることが予想されるところです。
画像:船橋駅A画像:船橋駅B
高架駅化と連続立体化工事が進められている京成船橋駅。工事完成後には、今ではめずらしくなった警手が開閉している踏切も姿を消す。
画像:船橋ダイソー 画像:船橋駅南側 画像:船橋西武
京成とJRとの間の様子。奥が高架工事中の京成船橋駅で、その手前に再開発ビルを建設中である。また、京成とJRを結ぶデッキも設置され、乗り換えが便利になる。中央に見える建物は昔の「丸井」で、その後ファッションの「タワラヤ」となったが、最近になって閉店されてしまった。そして、現在はこのビルすべてがダイソーとなり、超巨大100円ショップとして営業されている。(詳細 京成線南側の駅前通り。以前、この通り沿いには「十字屋ショッカー」というディスカウントショップや前述の「タワラヤ」などの大型店あったが、現在では「長崎屋」と、タワラヤから変化した「ダイソー」が営業している。 船橋の老舗デパート、京成とJRの駅の間にある「西武百貨店」。昔の船橋には大型店がこれしかなかった。なにしろ、野球ボールのような?西武の社紋を百貨店にも使用していた時代からあるので、かなり古いと思われる。近年、裏側に「ロフト」が増築された。
画像:船橋東武 画像:船橋ヨーカドー
昭和52年10月になって、JR船橋駅の北口にオープンした「東武百貨店」。JR(オープン当時は国鉄)の駅をはさんで、両側に西武と東武百貨店がそびえ建つ状況となったことにより、池袋的な街?になったと感じさせられたものだった。 昭和56年10月には、同じくJR北口に「イトーヨーカドー」も進出してきた。地上1階から上が西館と東館のツインビルになっていて、店舗部分のすべての階でデッキ、あるいは通路によって行き来できるようになっているのが特徴である。(詳細

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八千代台 (やちよだい)
所在地 千葉県八千代市八千代台北1-0
開業年月日 昭和31年3月20日
駅停車種別 モーニング・イブニングライナー
特急/通勤特急/(飛)快速/快速/普通
おもな設備 定期券発売所/ホームエスカレーター/mini Shop
/薬局/そば店/喫茶店/カレーショップ
駅周辺地図    1/3000
 駅開業前の八千代台は広大な習志野原の一角で、山林が広がるばかりで人家などほとんどないところでした。昭和30年代になって八千代台駅が開業し、同時に駅西側に一戸建てによる住宅団地の建設が始まりました。この八千代台団地は理想的な首都圏のベットタウンを目指して開発が進められ、わが国の住宅団地の始まりでもあったためモデルケースとして脚光を浴びたようです。
 その後、駅東口の開発も進み、駅を中心にして東西南北全方位に住宅地や商店街が広がる街へと発展しました。また、駅からやや離れたところに花見川や高津といったマンモス団地が建設され、それらの団地へのバス便によるアクセス駅となったことにより利用客が倍増し、京成の駅としては船橋・日暮里に次ぐ第3位の乗降客数を数えるまでになりました。
 それと当時に、人口の増加によって「西友」や「十字屋ポポ」といった商業施設が進出し、その後も駅を挟んで西側に「アピア八千代デパート」や東側に京成グループの「ユアエルム」が続々とオープンして、国鉄線(現在はJR線)と並行していない京成のみの単独駅としては最大の繁華街を抱える状況に至ったのです。
 なお、「ユアエルム」は平成5年6月に大規模な改装と増床工事が行なわれ、慣れないうちは迷ってしまいそうなほどの広さになりました。また、同年12月には駅も大幅にリニューアルされ、とくに改札口周辺が明るく広いイメージに変わり利用しやすい駅となっています。
 SSは東口にまだ何もなかったころの光景を現在でも記憶していますが、駅からやや離れたところに西友(現在のWAKOガーデン)だけがポツンと建っており、その建物の駅側の壁に描かれていた巨大なリンゴの絵がとくに強い印象として頭の中に残っています。そんな写真が現在残っているならばぜひ見てみたいものです。
画像:八千代台駅東口現在の八千代台駅東口。西側から開発が進められたものの、現在では「ユアエルム」がある東側の方が栄えているといった印象を受ける。西口には昔「扇屋ジャスコ?」があったような気がするが、現在では「アピア」以外はほとんど個人経営の商店街となっている。その中には某有名女優さんの実家で味も評判のラーメン屋さんがある。東口では何と言っても「ユアエルム」が目立つが、やはりこちらでも多数の小規模な店が軒を連ねている。なお、駅と西口の「アピア」及び東口の「ユアエルム」は通路で直結している。
画像:ユアエルム八千代台 画像:アピア 画像:WAKOガーデン
京成グループのショッピングセンターである「ユアエルム八千代台」。現在ユアエルムは青砥と公津の杜にもあるが、ここが最初に建設されたユアエルムである。キーテナントは食品スーパーの「リブレ京成」と衣料や雑貨などを扱う「長崎屋」となっている。(詳細 昭和49年に西口にオープンした「アピア八千代デパート」。多数のテナントが集合した商業ビルとなっているが、テナントの入れ替わりが激しい。現在ではおもに本屋,レンタルビデオ店,ゲーセンなどが営業している。(詳細 これが東口にまだ何もなかったころから存在していた「西友」の建物。SSが知る限りでは、「西友」→「DISCA」→「ラオックス」という経過ののち、現在の「WAKOガーデン」という遊戯施設になったのではないかと思われる。建物は西友時代のものを現在でも使用している。(詳細
画像:MSプラザ 画像:コパボウル
「WAKOガーデン」の向かいにある「NSプラザ」。元は「十字屋ポポ」で、八千代台駅周辺では「西友」と並んで古くから営業している老舗的存在だった。十字屋ポポの閉店後に建物はそのまま再利用され、地下はパチンコ屋,1階は食品の「ナリタヤ」,2階は衣類の「サンキ」,3階は「ダイソー」,4階は飲食店などがテナントとして営業されている。(詳細 ユアエルム駐車場よりさらに東側を望んだ様子。「コパボウル」はWAKOガーデンの裏手に位置するボウリング場である。その奥左手には山林が見えるが、昔はこのような山林が八千代台駅周辺全体に広がっていた。現在でも京成の線路際などに山林の一部が残されているところがあり、車窓からも確認することができる。

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勝 田 台 (かつただい)
所在地 千葉県八千代市勝田台1-8-1
開業年月日 昭和43年5月1日
駅停車種別 特急/通勤特急/(飛)快速/快速/普通
おもな設備 定期券発売所/ホームエスカレーター/mini Shop
京成トラベル/薬局/そば店/ファーストフード店
駅周辺地図    1/6500
 勝田台駅は、昭和43年5月1日に開業した比較的新しい駅で、当初より駅周辺が住宅地として開発され、駅北側の村上にはマンモス団地も建設されたため通勤客が多く、また、当駅を最寄とする高等学校も多く存在するため、学生の利用もきわめて多いのが特徴であります。そのため、昔から特急停車駅となっています。
 平成8年4月には、勝田台を始発とする東京方面への新たなルートである「東葉高速鉄道」が開通し、乗り換え駅としても重要な役割を担うようになりました。そのため、平成8年度末には駅の大改良工事が完成し、軌道やホームは従来のままながら改札が地下化され、ホーム自体が地下である東葉勝田台駅との乗り換えの利便性が向上されたと同時に、とても近代的な感じの駅となり現在に至っております。
 駅周辺の施設としては、駅前に「リブレ京成」、やや離れたところに「ヨークマート」などの商業施設があります。また、駅前には「勝田台グランドホテル」というかなり立派なホテルが営業されていましたが、数年前に閉鎖され、現在では一部コンビ二などのテナントが営業されています。
画像:勝田台駅南口平成9年3月に完成した現在の勝田台駅。ほとんどの設備が地下へと移動したため、かなりスッキリとした外観に変わっている。
画像:旧勝田台駅橋上駅舎A 画像:旧勝田台駅橋上駅舎B 画像:旧勝田台駅橋上駅舎階段
平成9年3月下旬、地下改札に切り換えられた直後に撮影した、昭和43年開業当初からの旧橋上駅舎。SSにとってはきわめて思い出深い駅舎だっただけに、すでに上がれなくなってしまっていたのはショッキングだった。この後、徐々に解体撤去されてしまった。 上りホームから旧改札口へと続いていた階段の様子。すでに下半分は切断撤去されていた。この直下には、現在の地下改札へと続く階段が新設されている。
画像:新勝田台駅地下改札 画像:新勝田台駅地上改札 画像:勝田台駅南口リブレ京成
完成直後の勝田台駅地下改札。かなり近代化され、当初は地下ということもあって勝田台にいるという感じがしなかったものである。 南口には、上りホームへ直接入れる改札も新設された。これはかなり便利である。 南口にあるリブレ京成。1階は食品,2階は洋品や雑貨,3階は本屋とセリア系100円ショップ,それ以上はマンションとなっている。

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志  津 (し  づ)
所在地 千葉県佐倉市上志津1669
開業年月日 昭和3年3月18日
駅停車種別 通勤特急/(飛)快速/快速/普通
おもな設備 ホームエスカレーター/mini Shop/喫茶店
駅周辺地図    1/6500
 志津駅は、大正15年12月の成田線開通時からおよそ1年3か月後の昭和3年3月になって開設されました。したがって、駅周辺はかなり古くから開発が進み、現在では駅からかなり離れたところにも大規模な住宅街が広がっています。駅近辺には小規模なマンションもありますが、それ以外は一戸建て住宅が中心となっており、おもな住宅地としては、北口側の井野に「京成団地」や「東映志津ニュータウン」、南口側の中志津に「角栄団地」,上志津に「京成玉野団地」などがあります。
 人口の増加とともに、昭和50年代には駅からやや離れたところに「イトーヨーカドー」がオープンし、さらに平成2年には南口に東武グループの商業施設が進出してきました。また、駅から離れた大規模な住宅地内でも、スーパーや商店街が営業しています。
画像:志津駅南口志津駅南口。北口はバスが乗り入れるスペースもなく雑然とした印象を受けるが、こちらはロータリーやバス停などがあって整備されている。駅のホームは、線路の曲線上に設けられている。
画像:東武しづマイン 画像:OKストア志津店 画像:ジェーソン志津店
平成2年4月、駅南口にオープンした「東武しづマイン」。京成沿線では唯一の東武グループストアである。駅改札と店舗3階部分が直結している。(詳細 「イトーヨーカドー」として開店したものの、現在ではディスカウントの「OKストア」となっている。北口から成田方向へ歩いたところにある。(詳細 はじめは「マルエツ」だったが、最近になってディスカウントの「ジェーソン」となり、さらに平成13年10月には100円ショップの「ダイソー」に変わっている。南口から歩いて2分ほどのところにある。

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ユーカリが丘 (ゆーかりがおか)
所在地 千葉県佐倉市ユーカリが丘4-8-2
開業年月日 昭和57年11月1日
駅停車種別 通勤特急/(飛)快速/快速/普通
おもな設備 ホームエスカレーター/mini Shop
駅周辺地図    1/6500
 ユーカリが丘駅は、昭和57年11月1日に開業した京成線の中では比較的新しい駅です。山万というディベロッパー(都市開発業者)が駅周辺の開発を行い、現在では駅北口側の広大な土地に首都圏でも有数の住宅地が形成されています。また、むやみに開発を手がけるのではなく、昔から存在している田畑や農家を残したニュータウン造成に成功している点も好感が持てるところです。山万みずからが敷設・運営している「山万ユーカリが丘線」という新交通システムが駅からニュータウンを一周しており、住民にとって便利な足も確保されています。
 以前、駅前には北口にそびえ建つ超高層マンションと、その下の「サティ」ぐらいしかありませんでしたが、平成10年から駅の真上にホテルが開業したり、すぐ近くにショッピングモール「サティ」の2番街がオープンしたりと、駅周辺もここへきて大きな変貌をとげ、京成成田線屈指の賑わいを見せる街へと成長しました。当初は北口側の開発が主でしたが、最近になって南口側にもマンションや一戸建てが目立つようになりました。なお、ユーカリが丘のホームページを見たい方はこちらからどうぞ!
画像:旧ユーカリが丘北口昭和57年11月のユーカリが丘駅開業時に撮影した、北口のなつかしい写真。
画像:新ユーカリが丘北口1階 画像:新ユーカリが丘北口2階 画像:ユーカリが丘駅北側A
現在の北口。上の写真とほぼ同じ位置を撮影したものだが、ホテル開業と同時に大きく変わった。 以前はなかった2階の駅北口。ホテル建設と同時に駅とサティなどの店舗を結ぶ歩道橋が設置され、便利になった。 平成10年前後に相次いで建設された「ウィシュトンホテルユーカリ=左」と「サティ2番街」。
画像:ユーカリが丘駅北側B 画像:山万ユーカリが丘線 画像:ユーカリが丘駅南側
以前は奥の超高層マンションのみがそびえ建っていた。その下には、平成4年3月から営業している「サティ1番街」がある。(詳細 山万が運営している「山万ユーカリが丘線」。車両には“こあら号”の愛称が付けられ、北口住民の足となっている。 駅南口の開発も進められている。

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臼   井 (うすい)
所在地 千葉県佐倉市王子台3-30-3
開業年月日 大正15年12月9日
駅停車種別 通勤特急/(飛)快速/快速/普通
おもな設備 ホームエスカレーター
/mini Shop/写真屋さん
駅周辺地図    1/6500
 臼井駅は、大正15年開業の成田線開通当初からある古い駅ですが、昔の駅舎は現在よりも400メートルほど佐倉寄りにありました。しかし、駅周囲のスペースが手狭で駅前ロータリーなども設けられなかったため、昭和53年10月、開発余地がある現在地に移転されました。その後、新駅周辺にさまざまな店舗や一戸建て住宅などが形成されたのはもちろんですが、駅からかなり離れた場所にも、大規模な住宅地が広がるようになりました。
 なお、成田寄りには折返線があり、上野方面への普通電車の始発駅となっています。また、車両方向幕の臼井表示については、高砂にて相互乗り入れをしている北総開発鉄道の白井(しろい)との混同を防ぐため、平仮名で記されています。
画像:臼井駅南口現在の臼井駅南口。近年になって「VIM」という駅ビルが建設され、立派な外観となった。
画像:臼井折り返し線 画像:臼井旧駅付近 画像:臼井レイクピア
駅のホームより、成田方向を望んだ様子。中央に折返線があるが、その奥に旧駅があった。 旧駅があった場所の拡大画像。踏切の向こう側に対向式のホームがあった。なお、当時は上下線がもっと接近していたが、この手前にある折返線の設置のため、現在では離れている。それも、旧駅を廃止したことによって可能になったものである。 昭和59年3月になって南口にオープンした「レイクピアウスイ」。印旛沼が近くにあるから“レイク”が付けられたのだろうか・・・?核店舗はジャスコとなっている。(詳細
画像:印旛沼レイクピアの屋上から望んだ印旛沼。京成電車の臼井〜佐倉間の車窓に見える風景としておなじみである。昔から毎年夏になるとここで花火大会が開催されているが、近年では国際花火大会となり、千葉県内でも有数の規模となっている。
画像:染井野ニュータウン 画像:臼井ヨーカド− 画像:七井戸公園
南口を背にして、新駅が開業したころに造成された王子台を過ぎると、最近になって開発された「染井野ニュータウン」が出現する。中には億単位で販売された住宅も存在し、結構な高級住宅地である。駅からは、千葉グリーンバスの染井野専用カラーリング車両による運行が行われている。 駅前にはジャスコがあるが、染井野住宅地の中には、平成10年10月に「イトーヨーカドー臼井店」がオープンした。新しい店舗なだけに、店内は広くて明るい。 「イトーヨーカドー」の隣にある七井戸公園。かなり広大な面積を誇り、池には水鳥や観賞魚がいて、憩いの場としてなかなかお勧めの公園である。ちなみに公園内にある池は、この周辺の造成が開始されるはるか前の地図にも“七井戸池”として記載されているので、おそらく人がなかなか分け入ることができない山林の中に、昔からポツンと存在していた池なのだろう。それが、開発によって公園の中の池として残されたものだと思われる。そして、現在では憩いの場としてだれでも容易に訪れることができる池となったのだから、時代の変化を感じさせられる。

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千 葉 中 央 (ちばちゅうおう)
所在地 千葉県千葉市中央区本千葉町15-1
開業年月日 大正10年7月17日
駅停車種別 普   通
おもな設備 定期券発売所/mini Shop/薬局
駅周辺地図    1/3000
 昭和62年3月31日までは「京成千葉」でしたが、その翌日に隣の駅が「国鉄千葉駅前」という路面電車のような駅名から「京成千葉」となり、駅名をとられた同駅は「千葉中央」に改称されました。旧京成千葉駅は大正10年開業のきわめて古い駅ですが、当初は街の中心地と言える現在の中央公園付近にあるとても便利な駅でした。
 しかし、戦後になって千葉市の戦災復興の一環として、京成の線路を現新千葉より国鉄房総線に沿らせて、旧国鉄本千葉駅の裏手に京成千葉駅を移転させる都市計画が立案されましたが、すでに国鉄の駅があり、人も少ない場所への移転に京成が難色を示し、結局、国鉄本千葉駅を500メートルほど蘇我寄りに移転させ、旧本千葉駅付近を京成のみの単独駅とすることで落着したという経緯があります。こうして、昭和33年2月に移転された駅こそが、現在の千葉中央駅ということにまりますが、移転当初はまだ立体化されておらず地上駅でした。
 駅が移転されてから間もなく、国鉄の線路をまたいだ東口に「京成千葉駅ビル」が完成し、京成直営のデパートやレストラン,映画館などが営業を初め、千葉県初のエスカレーターを備えたビルとして注目を浴びました。また、ビルの隣には大きなバスターミナルが設けられ、多くの人々が利用する駅となったのです。
 その後、昭和36年には駅ビルの本千葉側に「千葉京成ホテル」の開業、昭和41〜42年にかけては新千葉〜京成千葉間の立体交差化と高架下商業施設の開店、映画館やボウリング場などの遊戯施設が入った「京成千葉駅西口ビル」の完成、「国鉄千葉駅前」駅の開業など、集客のための努力や近代化が図られましたが、昭和50年代の経営悪化によってこれら設備のリニューアル及び建て替えなどが行えず、老朽化していく一方であったと同時に駅自体も閑古鳥が鳴く状況がしばらく続いていました。
 近年になって西口ビルや高架下ショッピングセンターがリフレッシュされ、現在では東口の駅ビルを解体して新たに「ミラマーレ」なる高層ビルを建設中で、ここへきてようやく京成が千葉中央駅周辺設備の近代化に乗り出してきました。なお、ミラマ−レは平成14年9月完成予定で、京成ホテルミラマ−レを中心にシネマ・物販店舗・飲食店舗などが入る予定です。これが完成したあかつきには、京成千葉中央駅周辺がかつてのようにふたたび活気のある“街”になることを願っているのですが・・・ 駅の近くでは、昔からある「ダイエー」や「セントラルプラザ(平成13年夏閉店予定)」など、商業施設の閉鎖が相次いでいることが気にかかります。
 なお、千葉中央駅は千葉急行電鉄の大森台までが開業した、平成4年4月1日より同線の起点となり、その後平成7年4月1日のちはら台延伸開業により、千葉中央駅の利用客も以前より増えています。現在では千葉急行電鉄の清算により、京成千原線の起点となっています。とは言っても、千葉急行時代より千葉中央からちはら台方面への始発電車は一本もなく、津田沼や上野などからの電車が約20毎に直通しているのみですが・・・
画像:千葉中央駅西口千葉中央駅西口。この西口は駅西口ビルの1階にある。かつてはこのビルの中にスーパーのリブレ京成やレストラン京成ベリエール,ボウリング場,パチンコ店,映画館などがあったが、平成10年にリフレッシュされて「ミ〜オ」という名称が付けられ、現在では新しくなった映画館やパチンコ店のほか、物販・飲食店舗やダイソーなどの専門店が集まっている。
画像:千葉中央ミラマ−レ 画像:千葉京成ホテル跡 画像:千葉京成ホテル解体
平成14年9月の完成に向けて東口に建設中の「ミラマ−レ」。平成13年5月の状況。この工事のため、千葉中央駅改札から東口に出るのがやや不便だったが、最近になって自由通路が設けられた模様。 左側が昭和36年に開業した千葉京成ホテル跡。平成12年12月に閉鎖され、39年間の営業が終了した。これにより、千葉京成ホテルはミラマ−レ完成まで一時休業となっている。また、このホテルの地下にあった「京成サンセット・千葉京成」2つの映画館も閉館となった。 解体中の千葉京成ホテル。もはやがれきの山となってしまっている。これにより、京成千葉中央駅東口の昔からの光景は完全に失われてしまった。東口駅ビルを含め、現存しているうちに撮影しておくべきだった・・・
画像:千葉中央西口バスターミナル 画像:閉ダイエー千葉店
西口のバスターミナル。各路線バスや高速バスの出発点となっている。かつては東口に大きなターミナルがあったが、現在はミラマ−レの建設工事のため閉鎖され、こちらのみとなっている。 平成13年5月31に閉店してしまった西口近くのダイエー千葉店。駅前のミラマ−レだけではなく、その周辺に何かがあればより一層賑わうと思うのだが・・・ その点で残念な閉店であった。(詳細

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